Poor Things (2023)を観て
- Nebula
- Apr 13
- 6 min read
Updated: Apr 29
“If I know the world, I can improve it.”
はじめに
少し前に観た映画、Poor Things (2023) (邦題:哀れなるものたち)についての記事です。
この記事は2025年4月6日にNoteに投稿した内容を一部改変したものになります。
あらすじ
ネタバレ注意です。
序盤〜中盤の流れのみ書いています。
風変わりな天才外科医ゴッドウィンの手によって死から蘇った若き女性ベラは、世界を知るためダンカンと共に大陸横断の冒険の旅に出る。
感想
本作は少なからずドイツ表現主義的な表現の要素を汲んでいる。
ドイツ表現主義×超現実主義とした方が適当かもしれない。
同じくドイツ表現主義的要素を組んでいて、かつ最近公開された作品であるThe Substance (2024)、Nosferatu (2024)とはまた違った雰囲気であるように感じた。
主題、演出、展開どれも非常にユニークで、かつベラの成長が非常に早かった事からとにかく目が離せず、2時間以上の作品であったものの見飽きることもなかった。
作中には魚眼レンズにより撮影されたシーンが数多く存在する。これらは単純にシーンを引き立てているだけでなく、場合によってはより大きな、象徴的な意味を持っている様に感じた。私が思うに、魚眼レンズで映し出される光景の大部分はベラが感じる物理的/社会的制約のメタファーである。水商売で稼いだ金で買ったエクレアを食べるシーン、ダンカンにマナーのなさを指摘されるシーン、船という次なる箱での滞在が始まるシーンなどがその代表例だろう。

ベラは作中、知識と思想の海を航海する事になる。彼女は皮肉屋のハリーに連れられ、アレクサンドリアにて(ハリーの考える)結論の一つに達する。ハリーは「上」から、貧しい人々が死にゆく様子を彼女に見せ、これが「世界の真実」だと言う。「これが現実である」という点に嘘はないだろう。その後彼女はそれを「改善」しようと、彼らに資金を渡すよう船員に頼んだ。しかしながら、札束は結局その場で横取りされる事になる。
資本主義社会という大きな構造において、その中の歯車が一つだけ逆に回る事は出来ないのだ。こればかりは彼女1人で解決できないだろう。
またアレクサンドリアは、かつて人々が世界中のあらゆる知識を収集しようとした都市でもある。ベラは世界の真実について、この都市で学ぶ事になったのだ。

近現代の社会において、人は共同体への帰属を前提にそのアイデンティティを形成するとされる。
そして本作においてその帰属意識は「結婚」という制度を通じて表現されている。
ベラはこの帰属によって生じるさまざまな拘束を受け入れざるを得ず、結果として自身の自由を犠牲にすることを強いられる。
この拘束は社会的規範という形態を取るが、その本質は家父長制的イデオロギーへの隷属であると解釈できよう。
特にリスボンでのダンカンとのダンスは、この家父長制的拘束を視覚的かつ象徴的に示している。
彼は社会的規範を口実としてベラを叱責するが、その真意は彼女を自身の支配下に置こうとする欲求に基づいている。
そのため彼はダンスにおいて積極的にベラの動きを統制しようとし、船上でも彼女が自律性や知性を獲得する事を嫌悪する。
また、元夫(?)であるアルフィーもまたベラを物理的・精神的に抑圧し、その抵抗や自由への希求を性的欲求に矮小化している。(こちらはより直接的かつ露骨に描写されている)
この様に、「良識ある社会」とされるものの背後には家父長制的な権力構造が深く根ざしていることが明らかとなる。
少なくとも作中ではその様に描かれている。
(特に本作が置かれている時代では)多くの女性はこの圧倒的な構造主義的枠組み(結婚制度、家父長制)から生じるニヒリズム的な感覚に囚われ、抵抗を諦める事になる。
しかしベラはこうした状況下においても主体性を失うことなく、自らの旅を完遂する。
彼女はこの歪んだ怪物=社会構造に潜む抑圧的な力学を認識した上で、虚無感に呑み込まれるのではなく、その批判的認識をもとに社会を改善する方向へと思考を深める。
このような態度こそが本作の提示する新たな主体像であり、本作を観ていて最も格好良く感じた部分である。
男女やフェミニズムなどといった枠組みを超え、単純に私はこの姿勢にときめいた。
ベラは林檎で行為をし、楽園から離れ、性の解放を経験し、知識の海を彷徨い、世界を知った後最終的に創造主の元へ戻る事になる。この過程で彼女は精神的に自立し、徳も不徳も闇も知る事になった。その後、ベラは旅=実験の結果を用いる事になる。
彼女の帰宅後、会話を通しゴッドウィンとマックスは彼らも(社会同様)ベラを縛っていた怪物であった事に気付かされ、その鎖からベラを解放する。こうして彼女の物語は一周し、彼女は自らの周りの世界を少しだけ「改善」する事が出来たのだ。
私が最近使っている映画アプリ(IMDb)には俳優から映画を検索する機能がある。
正直な所、The Substance (2024)やKenzo Danceを観てマーガレット・クアリー出演作を更に視聴したくなったのが本作に行き着いたきっかけである。
結果として彼女の場面はそこまで多くなかったが、そんな事がどうでも良くなるくらいにこの作品はthought-provokingであり、エマ・ストーンの演技にも感銘を受けた。
視聴を迷っている方には是非観て頂きたい一作だ。
余談:似ている作品
明らかに、Poor Thingsは同年公開のBarbie (2023)と類似点が多い。
作品同士の比較はタブーかもしれないが、正直私は頭の中で自然とこれら2作を比べてしまった。
表層的な部分(演出技法、過激な描写の有無)は当然真逆だろう。
しかしながら展開に関してはその限りではない。
というのも、どちらの作品もThe Wizard of Oz (1939)系であり、女性の主人公が外の世界を知る事で父権社会or現代社会により作り上げられたケージの存在に気付く物語なのである。
本編を観た方は共感して頂けると思うが、Barbieは3秒ごとに女性尊重主義ベースのメッセージで観客を殴ってくる。
Barbieでは他にも死、不安、変化への恐怖、そして変わりゆく事の美しさといったテーマも取り上げられている。
しかしながら、作品全体を振り返った時に最も大きく示されているテーマは明らかにこれだろう。
無論Poor Thingsにも同じメッセージ性がある。
ただこちらはBarbieのような「最初にメッセージがあり、次にストーリーがある」という風にしか見えない作風と違い、本作はしっかりとストーリーの上に主題が乗っていた。
映画として当然の事ではあるのだが、非常に面白いプロットを用いてそれを丁寧に行なっているのが良かった。
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