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Everything Everywhere All At Once (2022)を観て

  • Writer: Nebula
    Nebula
  • 3 days ago
  • 5 min read

“...in another life, I would have really liked just doing laundry and taxes with you.”


はじめに

Everything Everywhere All At Once (2022)(以下EEAAO)に関する記事です。

2025年3月に観た映画です。

Thunderbolts* (2025)を観たらこっちも書きたくなりました。


あらすじ

経営するコインランドリーの税金問題、父親の介護に反抗期の娘、優しいだけで頼りにならない夫と、盛りだくさんのトラブルを抱えたエヴリン。そんな中、夫に乗り移った“別の宇宙の夫”から、「全宇宙にカオスをもたらす強大な悪を倒せるのは君だけだ」と世界の命運を託される。まさかと驚くエヴリンだが、悪の手先に襲われマルチバースにジャンプ!カンフーの達人の“別の宇宙のエヴリン”の力を得て、今、闘いが幕を開ける!

マルチバース系です。

A24制作、アカデミー賞7冠達成の作品。


感想

予告編やあらすじから本作に接すると、多くの観客は「マルチバース系」あるいは「アクション系」の作品であるとの印象を強く抱くだろう。

しかしながら本作の物語の根幹には、きわめて現代的かつ普遍的な主題である「ニヒリズム」と「家族」が存在しており、それゆえに私たちの現実にも強く共鳴する内容となっている。


物語において娘ジョイは、マルチバースを通して「すべての世界・すべての物事・すべての自分・すべての可能性」を同時に経験する。

結果として彼女は、何もかもが無意味に思えるような深い虚無感に包まれるに至る。

この虚無を象徴的に可視化した存在が、作中に登場する「ベーグル」である。

ベーグル
ベーグル

注目すべきはこのベーグルが物語内の比喩表現にとどまらず、現実世界にも対応物が存在する点である。

インターネットだ。

私たちは日々、インターネットを通して他者の人生に関する膨大な情報を目にしている。

そしてそれらの多くは成功譚であれ失敗譚であれ、必ずと言っていいほど「顛末」を伴っている。

これにより、未来の可能性を開くより先に私たちの人生の終わりの姿が可視化されてしまうのだ。


とりわけ、ジョイのようなデジタルネイティブ世代に属する私たちは、人生のスタート地点からそうした「顛末」に曝されることになる。

そして無意識のうちに自らの限界や無力感を感じ取り、やがて「自分は無価値である」「生きることに意味はない」とする認識へと結びつけてしまうのである。

現代においては、マルチバースのような超越的な概念を通さずともインターネットという情報の集積体、すなわち世の全てを孕んだ怪物に触れることによって私たちの心は虚無に蝕まれることになる。


この「全てを知ることによって起こる虚無」を第一次のメタとするならば、作中で母エブリンが呼応して示す態度はそれに対する第二次のメタ的応答と捉えることができる。

すなわち、「顛末が見えているからこそ、そこに至るまでの過程に意味を見出すことができる」という態度である。

来たる未来の虚しさを認識しているのだから、現在の瞬間的な感情やつながりを肯定する...という視点は、ニヒリズムの淵に立たされた者にとってきわめて重要な思想の柱となりうる。


本作においてもう一つの大きな柱となっているのが家族である。

主人公エブリンは、移民としての忙しい生活を送りながらも夫婦関係・子との関係・そして父との関係に葛藤を抱えている。

夫とは離婚の話が挙がり、彼女の娘はレズビアンであり、保守的な父との微妙な関係性も抱えている。

そしてそれらには全く関係なく、日常生活における多くのすべきことが彼女にはのしかかっている。

移民としての経済的・時間的苦悩を抱えた上でのこうした多層的な人間関係は、彼女にとって物理的・精神的に大きな重荷となっている。

しかしそうした複雑さを抱えつつも、エブリンは家族という彼女に最も近しい存在に再び目を向けることになる。

最終的に彼女らは分断されかけた絆を回復させ、より強固な連帯へと至る。

冒頭
冒頭
ラスト
ラスト

私たちの日常においても、ふとした瞬間に得体の知れない暗く大きな「底なしの穴」に遭遇することがある。

そしてそこに飲み込まれ、虚無に傾倒することは容易である。

しかしながらそんな時は一歩立ち止まって周囲を見渡してみることで、自己の存在を肯定するきっかけを見出すことができるかもしれない。

他者と優しさを交わし、繋がりを持ち、心が満たされる瞬間。

そうした時間こそが、現代における「意味」の一つであるのではと本作は静かに提示している。


おわりに

Deadpool & Wolverine (2024)以来のマルチバース映画でした。

とはいえマルチバースのコンセプトがEEAAOは少し違っていた上、マルチバース自体が主題では無かったのでしっかり楽しめました。

アクションも面白いし、マトリックスのパロディとかもあったりして楽しかったです。


ミシェル・ヨー、キー・ホイ・クァンともに今まで別の映画・ドラマで観たことはありましたが(Shang-Chi and The Legend of the Ten Rings (2021), Wicked (2024), Loki (2021~2023) )、共演しているのを観たのは初めてでした。

ストーリー・演出もさることながら、2人の演技がとにかく心に刺さる。

ステファニー・アン・シューも表情から彼女の感じている空虚感が伝わってくるようでした。


久々に泣ける良い映画だったと思います。

また観たくなってきました。


最後までお読み頂きありがとうございました。

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