CTRL (2024) を観て
- Nebula
- Apr 13
- 4 min read
Updated: Apr 29
“आपहमारेचंगुलमेंहैं, नेल्ला”
はじめに
少し前に観た映画、CTRL (2024) についての記事です。
この記事は2025年3月18日にNoteに投稿した内容を一部改変したものになります。
あらすじ
ネタバレ注意です。
序盤〜中盤の流れのみ書いています。
本作はSNSの影響力と、AIの台頭によって人間の生活がどう変わっていくかを描いた物語である。主人公のネラは、人気のインフルエンサーとして成功していた。しかしながら恋人ジョーとの関係が悪化し、彼を自分のデジタル生活から消し去るためにAIアシスタント「CTRL」を使う事になる。しかし、ジョーが不審な死を遂げたことが明らかになり、ネラはAIアシスタントと巨大企業「Mantra Unlimited」が彼女の生活を掌握しつつあることに気付く。システムに支配される恐怖の中、ネラはジョーの死の真相を追い求める中で、テクノロジーの深い闇と向き合うことになる。
感想
SNSを題材にしたホラー作品はこれまでにも幾つか存在してきた(実際に鑑賞したことはなかったが、その存在は知っていた)。
しかしながら、本作は、そこに人工知能技術、さらにはスノーデン事件を彷彿とさせる要素を織り込むことで、既存の情報社会とプライバシーについてに一石を投じている。
作中を通して、本作は実に多くの社会的・倫理的問題を提示している。
個人情報保護の脆弱性、人格を模倣する高度なAIの登場、SNSを通じた世論操作や炎上、企業による不可視の監視体制、そして死者の再現といった問題群は、技術倫理・社会学の観点から見ても、現代における最も重要な課題の一端を確かに射抜いている。
特筆すべきは、これらの問題が物語の中で「解決」されることは一切ないという点だ。
むしろ、それらがどれほど巨大で、人間一人の力では到底太刀打ちできないものであるかを思い知らせる展開が続く。
その意味で本作はある種のニヒリズムをその内に有しているとも言えるだろう。
ただし、私個人としてはこれは虚無ではなく「現実的」な視点だと感じた。
とりわけ印象的だったのはラストの展開である。
通常、私はハッピーエンドを好むタイプだが、本作においては安易な救済や勝利が描かれなかった点が非常に好ましく感じられた。
主人公がCTRLを利用し始めたその時点で、彼女の自由はすでに制限されていた。
だがその枷は物理的なものではなく、より根深く精神的なものである。
CTRLは彼女の思考・行動を徐々に侵食し、最終的にはその心すらも拘束する。
彼女は足元どころか、全身を十字架に磔にされるような形で、デジタル世界の“信者”として献身させられていく。
一般的なフィクションでは、最後に何らかの暴露や反撃により、主人公側が勝利する構図が描かれることが多い。いわゆるplot armorというやつである。
しかし本作ではそのような「都合の良い逆転劇」は一切用意されていない。
その絶望的な結末こそが、本作が抱えるメッセージ性の強さと現代社会の構造的問題の根深さを浮き彫りにしていると感じた。
話は変わるが、「ディストピア」と聞いて多くの人が思い浮かべるのは The Matrix (1999) のような視覚的に荒廃した未来像である。
私自身はゲームが好きなこともあり、崩壊3rdのような世界観を思い出す。
しかしながら本作が描くディストピアは、視覚的に荒廃した都市ではなく、目には見えないが確かに存在する「第二の世界」としてのデジタル空間に広がっている。
その構造的な根底にあるのは、自由の喪失と現実世界における未解決の社会問題だ。
現代人は日々膨大な個人情報を自ら提供し、アルゴリズムに基づいたバーチャル空間に生きている。
そしてそれが「不自由」であると理解しながらも、利便性や社会的つながりの維持といった理由から、その檻を自ら進んで受け入れている。
そこにあるのは、意識的な「隷属」であり、否応なく選択させられる“青いピル”である。
本作における主人公もまた、そのような選択肢のない状況に置かれ、結果として自らの全てを「CTRL」に捧げることとなる。
彼女には赤いピルを選ぶ自由も与えられていない。
記憶を保ったまま、偽りの楽園を受け入れる以外に道は残されていなかったのだ。
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