シャーマンと微生物学
- Nebula
- May 14
- 5 min read
はじめに
先日大学の現代芸術論にてネイティブ・アメリカンのシャーマニズムと微生物学に関する記事に触れる機会があったのですが、かなり面白い内容だったのでブログにも書くことにしました。
ここのISSUE 59です。

シャーマニズム/シャーマンとは?
シャーマンは和訳すると巫師・祈祷師になります。
トランス状態に入って超自然的存在と交信する、とされています。
そんな彼らを母体とした宗教がシャーマニズム(巫術)です。
このタイプの宗教は互いに関わりのない複数の地域で発生しており、それを総称して「シャーマニズム」と呼ぶのが一般的なようです。
本記事ではネイティブ・アメリカンが信仰していたシャーマニズムについて書きます。

直近の美術鑑賞
先日はヒルマ・アフ・クリントの作品を見に行きました。
彼女はトランス状態の中で創作を行い、所謂「上位存在」との交信を通じて作品の根源的な要素を生み出していたとされています。
彼女が当時の文化的な潮流、つまり「見えないものを可視化しようとする」という科学や芸術の動きから強い影響を受けていたことが広く知られています。
本題
上に示したヒルマ・アフ・クリントの視点は本記事の内容、すなわちアメリカ先住民のシャーマニズムと現代微生物学の繋がりとも少し重なる要素があります。
著者はシャーマンが関わってきた存在、つまり西洋の枠組みでは精霊や魂として翻訳されてきたものが、実際には目に見えないほど微細な超常的存在として捉えられていた可能性を示しています。
つまりそれらの存在は「精霊」というよりは、現代科学の「微生物」「細菌」「ウイルス」などに近い存在である(かもしれない)ということです。
記事にて指摘されていたポイントの一つに、アメリカ先住民の人々が微生物的な世界に対する独自の解釈と経験的知識を持っており、それらを「目に見えないが確かに影響を与える存在」として理解していたという点があります。
記事より翻訳・引用:
シャーマンが関わっていた多くの存在は、宣教師の影響を受けた人類学者によって「霊」などと翻訳されていた。しかしながら実際のところ、この概念は「霊」というよりは微生物に性質が近いものであった。例えばそれらは多数で構成され、小さな身体を持ち、一般の人には見えず、特定の病気を引き起こし(病原性)、あるいは特定の動植物を守る(動物媒介性)という特徴を持っていた。
この考えに対して、ヨーロッパから来たキリスト教的世界観はそれらの存在を「魂」や「霊」といった西洋的な概念の中で捉えようとしてきました。
例えばキリスト教目線では、ペストなどの疫病も上位的な神による罰として理解されることが多くありました。
つまり、似たような現実の現象に対し、上位存在の存在論を背景として全く異なる解釈が導かれていたという事です。
また記事の中では「内視現象(原文: entoptic phenomena)」についても言及されています。
(画像を載せようかと思ったのですが、眼球の写真をここに貼り付けるのもどうかと思うのでやめておきます)
これは網膜を走る血管など、目の内部構造が光の中で見えてしまうという生理的現象です。
著者はこの現象とシャーマニズムのビジョンとの繋がりに注目しています。
というのも、シャーマンたちが見た「見えない存在」は単なるトランス状態による幻覚ではなく、生理的に説明可能な部分もあったのではないか、というのです。
感染学・微生物学に関する経験則(不可視の存在の認知)と内視現象(不可視の可視化)は、例え同じ物を認知しているわけではなかった(前者は菌・微生物、後者は目の内部構造)としても、「不可視の概念に触れていた」という一つの共通点においてシャーマニズム信仰の土台として重要な役割を果たしていたのではないでしょうか?
余談ですが、個人的には内視現象説に基づく場合、シャーマニズムにおける「上位存在」が実は体の外ではなく、自分の体にずっと内在していたことになるのが結構面白く感じました。
この記事を読んでいて、子供の頃の事を思い出しました。
当時の私は、高熱を出してベッドで寝込むことがよくありました。
そんな中でも特にインフルエンザで熱が出ていたとき、目を閉じると瞼の裏に白黒の同心円状の変な模様が大量に見えることがありました。
熱自体はそこまで辛く感じなかったものの、その模様のほうがむしろ怖く、なんとも言えない不安な気持ちになったのを今でも覚えています。
今思えば、あの模様は内視現象の一種だったのかもしれません。
そしてもちろん、高熱で意識がぼんやりしている状態をトランスと呼ぶのは違うかもしれません。
しかしながら、私が見たもの・感じたことが単なる生理的な反応以上のものだったように思えるのもまた確かです。
あのとき感じた恐怖/不安のような感情には、何かもっと根源的なものがあったように思います。
もしかしたらそれは、シャーマンたちが語るような「超自然的な存在」との接触に似たようなものだったのかもしれません。
記事のラストでは、生物学的でない知と科学的な知の両方に内部での矛盾や多様性があることが触れられていました。
「私たちの身体や心が『見えないもの』とどう向き合ってきたのか?/どう向き合っていくのか?」という問いは、シャーマニズムにも、現代科学にも、そして先日のヒルマ・アフ・クリントの作品群にも通じるものだと思います。
顕微鏡が発明され、電子が発見され、COVID-19のようなパンデミックを経験した今、この問いはかつてないほど興味深く感じられます。
私達はこれからも、ずっと「見えないもの」に惹きつけられ続けるのかもしれません。

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