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The Substance (2024)を観て

  • Writer: Nebula
    Nebula
  • Apr 13
  • 5 min read

Updated: May 2

”The one and only thing not to forget: You. Are. One.”


はじめに

少し前に観た映画 "The Substance" (2024)についての記事です。

日本でも近いうちに劇場公開される予定です。

映画の感想は今まで書いた事がないのですが、テーマもビジュアルも本当に衝撃的だったので残してみる事にしました。

この記事は2025年2月13日にNoteに投稿した内容を一部改変したものになります。

予告編

あらすじ

ネタバレ注意です。

序盤〜中盤の流れのみ書いています。

50歳の誕生日を迎えた元人気女優のエリザベスは、容姿の衰えによって仕事が減っていくことを気に病み、若さと美しさと完璧な自分が得られるという、「サブスタンス」という違法薬品に手を出すことに。薬品を注射するやいなやエリザベスの背が破け、「スー」という若い自分が現れる。若さと美貌に加え、これまでのエリザベスの経験を持つスーは、いわばエリザベスの上位互換とも言える存在で、たちまちスターダムを駆け上がっていく。エリザベスとスーには、「1週間ごとに入れ替わらなければならない」という絶対的なルールがあったが、スーが次第にルールを破りはじめ……。

表現について

音のデザインが非常に特徴的でした。

また所々に出てくるシンボル的な、概念的な演出(何て言えばいいのか分からなかった...)にも凄く「生」の印象を受けました。

他にもエビを食べるシーン、エアロビスタジオを出た所など、独特な撮影・演出がされており(いい意味で)不快でした。

あまりゴアな表現は好きではないので、ラストを見るのは中々きつかったです...

この曲がずっと頭に残っています。


ストーリーについて

本作は単なるショッキングなホラー映画にとどまらず、女性の内面に潜む葛藤や社会が押し付ける過酷な美の規範をあぶり出す作品である。


象徴的なシーンの一つは、サブスタンス服用時に表示される警告 “You are one” というメッセージだ。

一見すると、「二つの身体はいずれも自分のものであり、いずれにも注意を払うべきだ」といった表層的な意味に受け取れるが、物語の終盤に至って、このメッセージがより根源的な意味を持っていたことが明かされる。

すなわち、二つの身体は単に依存し合う存在ではなく、本質的に同一の存在として不可分であることが描かれるのだ。

物語の序盤から中盤にかけては、「物理的には別個に存在する身体が、相互依存関係にある」という構図が提示される。

しかしやがて、この依存関係は心理的な分裂を招き、登場人物の心を蝕んでいく。

ただし、その「分裂」が引き起こす問題の責任を負うのは、結局のところ一つの主体=エリザベスの心と身体であり、そしてスーの身体そのものでもある。

つまり、“You are one”という警告が示す通り、元々は一つの身体と一つの心で構成されていた存在が、形式的に「二つの身体、一つの心」という形へと再構成されたに過ぎない。エリザベスとスーは、決して分離された二つの実体ではないのだ。


サブスタンス服用において、スー側が規則を逸脱したことを契機に、エリザベス=スーという一つの心の中に齟齬が生じる。

その結果、外見上は人格の分裂のような現象が現れ、最終的には両者が再び融合し、文字通り「一体化」するに至る。

この一体化は、服用を開始した時点で既に不可避であったように描かれる。

エリザベスは、すでに自らが手に入れられないと知りつつも、若さと美に対する渇望を抱えていた。

その欲望の具現化として現れたのがスーである。

一つの心に対して二つの身体が存在し、そのうち一方だけが“完全”であるという極めて不均衡な構図がここにある。

サブスタンスの服用が求める「一週間ごとの身体の交替」は、このアンバランスさと相反するルールである。

この矛盾ゆえ、劇中でも描かれる通り、服用者が元の身体で過ごす一週間は異様に長く感じられてしまうのだ。


また、劇中でエリザベスがプロデューサーから贈られたのはフランス料理のレシピ本である。

フランス料理は脂肪分の多いメニューが多く含まれており、ここには「もう見た目を気にする必要はない」「君はもはや象徴ではなくなった」というメッセージが込められている。

これは業界内での暗黙の通告であり、エリザベスが属するメディア業界(特に女性の若さと美が冷徹に評価される領域)における残酷なルッキズムを象徴している。

このような環境下で、エリザベスの心は徐々に侵されていく。

外見に対する慢性的な不安は、拭い去ることのできない呪縛となり、サブスタンスの使用をやめるという選択肢が常に存在していたにもかかわらず、彼女はそれを選び取ることができなかった。

本作は、現代女性が抱える根源的な矛盾、すなわち不可逆的に失われていく若さと美に対する執着、そしてその追求がもたらす自己否定を余すところなく描き出している。

最終的に誕生する“Monstro Elisasue”とは、これら相反する側面の融合体であり、美しさと醜さ、若さと老いが一つの身体と心において可視化された存在である。

そして“Monstro Elisasue”となった彼女は、初めて真に「あるがままの自分」を受け入れることができた。しかしその姿は、社会においては「怪物」として排除される存在である。


「君はもう必要ない」というメッセージは、共同体に生きる人間にとって、存在の抹消という本能的な恐怖を呼び起こす。

劇中で描かれるように、それは社会が一方的に押し付ける理想像から逸脱した瞬間に発生するものであり、外部の基準によって私たちの内的精神は常に傷つけられている。

このような抑圧のなかで、真に外部に依らない価値観を持ち、自らを肯定できるようになること。

それこそが、今を生きる私たちにとっての切実な課題なのかもしれない。

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